★★ 最新の鑑定スケジュールはこちら ★★

占いつれづれ草 〜適職だろうがなかろうが/東西の占術比べ〜

適職つれづれ

本日つれづれなるままに。。。さて、いろんな方のホロスコープチャートを拝見しますと、簡単に適職に巡り会える人と、そうでない人がいるなぁと感じます。

じゃあ適職に巡り会えた人は、安泰かといえばそんなことはなく、仕事上での試練や停滞する時期は当然あるので、暗中模索する中、別の視点からヒントを得ようと鑑定にお見えになります。それに、たとえ仕事は適職かつ絶好調でも、関わる環境からより高い要求を求められるし、別のテーマ(仕事を優先したせいで、家族とのコミュニケーションが犠牲になるなど)で悩みを抱えているかもしれません。

一方で、適職がぼんやりしてる人というのは、何でもそつなく器用に目の前の案件に対処できる、有能なタイプだったりして、選ばなければ職に恵まれ食いっぱぐれない利点もあるようです。人生そんなもんと割り切れば別に問題はないんですがね。その人なりの割り切れない理由がいろいろあるわけで…。で、なんとなく時間が過ぎていき「これでいいのか私は?」と焦りや疑問を感じた時、鑑定にお見えになるようです。ずっと手放せない願望があれば、尚更ですから。

東西の占術つれづれ

東洋系の占いの場合は、運命はあらかた決まっていて、それを受け入れ、素直につつがなく生きることが自然、という立ち位置です。インド占星術もそっち側ですね。なので、星の状態を読み、星の強弱などから判断し、ご相談者が抱く願望の可能性の可否をお伝えしますが、時には他に適している方向性をご提案することもあります。インド占星術では、決められた運命が約7割、自分で変えられる運命が約3割(あるいはそれ以下とも…)と云われており、多少の伸び代はあるけど、変えるには相当の努力が必要だとも。。。

まぁ東洋の社会だと、そもそも環境には人間の上に八百万の神が存在し、何かあれば数多の神に祈りを捧げ、運命の行方を託す文化が背景にあるからだと思います。自分で決めなくても、運命は水のように流れていく受動的な世界観。それゆえ、逆に占断はズバリ系が多いです。(この前行った台湾で受けた鑑定もそうでしたね~)

一方の西洋社会は、個人が目的意識を持ち、自己主張したり取捨選択して、欲しい現実を獲得するために行動する、という考えが土台にあります。なので西洋占星術の方が(インド占星術に比べて)、個人の可能性を尊重する占術と言えます。とはいえ(占い師のタイプにもよるでしょうが)、どっちにしろ夢見るキラキラ系アドバイスにはならないし、時期によって運の後押しがあるかどうかが明白なところは、どの占術にも共通しています。

で、インド占星術だと、夢が叶いそうな時期はあれど、それはヨボヨボの婆さんの頃とか、あるいは既に幼少期に終わってた…というケースも時々あって、なかなか残酷です。それもまた人生の学びなのでしょうが、それが正論だとしても「そんな殺生な~~~~」ですわよね。

* * *

そう言えば以前、インドのデリーに行った時、物乞いのチビッコ達のたくましさがとても印象的でした。

乗ってた車が停車するたびに窓の外に現れ、即座に芸をしてお金を要求する彼らの鋭利な視線には、既に子供らしいあどけなさは皆無でした。世の中をアテにせず図太く生きる、小さなサバイバー達と目が合った瞬間、分厚いガラス窓で覆われてるにも関わらず、ブルルッと怯えるほど、何か刺さりました。正直怖かった。

しかし、どの占術のメッセージも、あの時のチビッコ達の視線と似てる気がします。
己を知り、現実を受け入れる。まずはそこ。
その上で最善を尽くす。(そして対価を!)