なにかブログを書かなくちゃ〜と思っては書き出すのですが、途中でつまらなくなって放置…をしばらく繰り返してました。たかが個人ブログなのにね~、どうしちゃったの私?トホホって思ってました。そんなプチスランプを抱きながら日々過ごしていたところ、昨日久々に行きつけの整体でカラダをほぐしてもらい、その後近所のスーパー銭湯に寄って露天風呂にの~んびり浸かったら、ちょっと復活した気がします。というわけで、今書いてます(笑)。
なんだ、疲れてて気力が湧かなかったんか。そういえば、3月4月の緊急事態宣言の最中、前から決まってた仕事で意外と忙しく気が張ってたんですが、落ち着いた今ガクンと来てしまったようです。で、メンテナンスしてもらって、ようやく自分の疲れに気づいた次第。みなさんも今なんかやる気がイマイチって感じたら、ゆっくりカラダのメンテナンスと休養、おすすめですよ。私は来週もまたスーパー銭湯でボーッとする所存♡
与太話はこのくらいにして、ウラナイ8でご一緒する翡翠輝子先生が幻想についてブログをアップしていました。これに触発された私、本日は「幻想(幻影)」をテーマに書いてみようと思います(内容は被りません)。そういえば、6月23日から海王星も逆行しましたし、ちょどいいかも。
実体(サッティヤ)と幻影(マーヤ)のねじれ構造
インド占星術では、人は実体と幻影が絡み合った世界を見ている、という考えがあります(本格的なヨガをやってる人で、ヨガの八支則として学んでる方も多いかもしれませんね)。
客観的な実体はこうだけど、本人の脳内では別の幻影を抱いてる。人間とは、そんな実体(サッティヤ)と幻影(マーヤ)のねじれ構造を常に抱えながら毎日を暮らしている。しかしこのねじれには、なかなか気づけないのだそうです。
そんなねじれについては、その人のホロスコープ・チャートにも表れています(読み取りが難しいですが)。さっそく実際自分のチャートで検証してみましたが、とても興味深かったです。げげっ、私のこの考え方って幻影だったんか!?って発見が多々。
生きるって、勘違いの連続なんだなって思いました…。
例えば私の場合、どうも持ち物への幻影が強い。「これを手に入れたら満たされる」が脳内で強く湧きだすと、それに囚われまくるのです。その昔、部屋に健康器具をいくつも買い揃えてしまったことがありました。これでスポーツジムに行かなくてもカラダを鍛えられる!という幻影トラップにハマってしまったのです。乗馬マシンって昔流行りましたよね。あの高機種、持ってました(苦笑)。打ち合わせしたりアイデアを練りながら乗馬マシンに乗ったら、さぞや体幹を鍛えられるんでは?と脳内がキラキラ輝いてしまいまして。。。
アホか?って思うでしょ。でもそのときは脳内が一面お花畑なのですよ。それはもう美しいお花がたわわに咲き乱れる桃源郷。そこで私は笑いながらスキップしてる。しかし、いずれ時間が経つと、健康器具の幻影から我に返る時が訪れるんです。は!何をやっているんだ私は?ってなる。すると今度はすべてを放棄したくなり、持ってた器具全部、誰かに渡してしまいました。ヤフオクなどで売ればよかったんでしょうが、面倒くさいしそれより何よりスッキリしたい気持ちが上回りました。
そこまで大きな幻影は、その後鳴りを潜めてましたが、しばらくしたら次はうっかり器にハマってしまいました。すてきな器が私を満たしてくれる、そんな幻影を…。陶芸もやりましたし、作家ものの器もいろいろ集めました。そういえば、金継ぎもやったっけな(全身漆かぶれになりながら)。あとはあれですよ、インド食器。山ほど持ってるし!!!お店開けるくらい持ってる。てか実際、営業もしたなー!がははは。ここって器屋さんですか?ってくらい今も持て余してます。えっへん。やはりまたしても、途中でさすがに持ちすぎだろう?と我に返ってからは、身近の若い一人暮らしさんにお皿いらない?いいのあるよ、貰ってよ~と押し付けております。
あと、持ち物以外では、「悠久の時間が流れている」のもワタクシめの大いなる幻影のひとつのようです。とにかくのんびりな私。周りが急いでるときでも、ひたすら暢気。子供の頃からずっとそうで、エンジンかかるのが非常に遅い(しかも本人に悪気がないから、余計始末に負えない)。今も、ウラナイ8の面々が自粛期間に入ってからすぐYouTubeなどのネット配信業務に着手しているのを横目に、ひとり優雅な私です。でね、それ幻影じゃん!?って気づいた今でも、なかなかそこから抜けられません。。。うー、幻影は手強い。
…てのが、私の持つ幻影のほんの一部です。
幻影があるから、ドラマが生まれる
幻影は誰もが持ってるし、それこそが人間のデフォルトのようです。←だからドラマが生まれるんですよね〜。恋愛ドラマなんて、すれ違いだらけじゃないか。
また別の人のケースでは、こんなのも。本人は「希望は何でも叶えられて当然」という幻影が強い。なのに、実体は他者に翻弄されやすい(幻影が強いから、余計思い通りに行かないと感じてしまう)、そんなねじれ構造もあります。
さらに別の人のケースでは、本人の幻影は「王様」。しかし実体は「商人」(世渡り上手)のねじれ構造が。とはいえ、王様のような堂々とした態度は、魅力や信頼に繋がるので、幻影の脳内お花畑が一概に悪いとも言い切れません。
ですから、人が幸・不幸を感じる判断基準って、意外と怪しいかもしれません。
そこで気になるのは、例の都知事。彼女の脳内はいったいどんな世界なのか、覗いて見たいような見たくないような。。。
そんなふうに人間はいくつもの幻影を持ちあわせています。パートナーシップの幻影、仕事への幻影、お金への幻影など、いろいろな要素が組み合わさっています。人間て、混沌の象徴ですね。
さて混沌といえば、数字の8は混沌の象徴でもあります。一方で、ねじれ構造の象徴でもあります。実は0(完全)なのに、幻影によってねじれた自分を見ている、っていう。なので、8は人間臭くて、味のある数字なんですよね。でもその結果、混沌やねじれから、自然法則の9が生まれる流れなので、8は全ての源ともいえますが。あ、たしか東洋思想で8は森羅万象と、翡翠先生から伺ったことがあります。
あー、久々にブログ書いた。便秘解消した気分です。幻影を排出できてスッキリ!?(笑)
(おまけ)
昨日ネットでおすすめされてた映画「プリデスティネーション」を観たら、なかなかおもしろかったです。
物語を鑑賞する自分の思い込みが、がらがら崩壊してって、最後ええええ?なんじゃこれ!ってなりました、映画は、幻影の賜物ですね!